年子とワタシの生活ログ

2014年3月と2015年12月生まれの兄弟と暮らす日常を綴ります。

出産レポ ~それは遥か忘却の彼方~

さて。

出産に立ち返り…けじめ。w

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予定日の前夜。

真夜中の少し前のこと。

かすかーに下腹部に痛みが来始める。

おぉ!

やっときたか!

しかもこのままいくと予定日に

産まれるのか?なんて律儀なコ!

と、

今思えば陣痛の風上にもおけない、

まるでそよ風のような規則的な痛みに

ワクワクしながら、

陣痛アプリで記録し続ける。

その後、丸一日続く前駆陣痛。

なげーーーーー!

ここでかなりのHPとMPを消費。

まぁ予定日の朝、念のため病院には

行ってみたのだけども。

案の定先生は全く緊迫しておらず、

「んー、まだ子宮口2cmですね、

よかったらその辺のデパートでも

歩いてきたらどうですか?」

´д` ; ハ、ハァ…

そんなわけで一旦実家に戻ったものの、

痛みが無くなるわけではないので

本人はもちろん家族もソワソワしながら

ときがくるのを待つ。

待つ。

ひたすら待つ。

待ち切れない。

夕方には、痛みが来るとしゃべるのが

つらいレベル(でもmaxが100とすると

20くらいじゃなかったか、今思えば)

で、自己申告で入院することに。

陣痛室に入ったのは17時を過ぎた頃、

ハマちゃんも付き添い。

そこから、

とにかく、

また待つ。

なかなか進まない。

でも痛みは確実に強くなっていく。

こんなジリジリくるものなの!?

陣痛の合間に、恐怖が襲う。

しかし眠気にも抗いがたいw

このままだと予定日過ぎるな~…

と考える余裕があったのは21時頃。

そこから時計を見る余裕は全くなく、

ひたすらいきみ逃しに徹する。

ひぃーなにこの苦行、いつまで続くの!

とにかく出そう。うっかり出そう。

ハマちゃん自慢のバカぢから全力で

テニスボールを使って押さえてもらう。

ぜんっぜん足りない、足りないよ!

合間にはさすってもらい、お水を

飲ませてもらい、、完全看護状態。

そんなこんなで、

夜中1時すぎにようやく破水!

ボンっっ!!

ハマちゃん、ちょうどテニスボールで

おしりを押さえてたもんだから

ばっちり正面でその衝撃を受け止める。

まさに、腹の中で水風船が爆発した!

って感じの衝撃と効果音。

もうその頃には意識朦朧だったけど、

一瞬笑いが出るほど大きな音だった。

私の体どーなっちゃうの、ハハ…

血とか破水とか生々しいのが何より

苦手なハマちゃん。

かなりショックだったようで

(後日友人たちに報告する時も、

必ず 破水を手で受け止めた

話を最初にするくらい!)

何度も何度も

「今きた!!割れた!!!」と叫ぶ。

私は一瞬で興奮が去ってしまい、

しんどくてそれどころじゃない。

そして助産師さんの、

「よし!全開!」の声を股の間から

聞き、やっときた!いきめる!と、

心は意気揚々と、実際は生まれたての

子鹿さんのような足取りで分娩室へ。

この時、深夜2時過ぎ。

そして、

息子との対面… 朝7時半。

分娩台で5時間とか何やってんだ>自分

なんだか、いきんでいいのか悪いのか

パニックになってて、疲労もmaxで、

我ながらかなりグダグダなお産でした。

人生最大のイベントのまとめが

グダグダって。

まぁ恐れていた会陰切開は全くもって

気づかなかったし、3針縫われただけで

後あとそんなにつらくなかったし、

何より出血がかなり少なかったらしく

先生にも褒められました。

あ、そういえばおしるしは破水する

ちょっと前だったなー。

立会い出産は賛否両論だけど、

私たちは立会いして本当に良かった。

と思ってます。ハマちゃんの、

我が子への父性がすぐにわいたのも

そうだけど、何より産んだ母(私)への

労りの気持ちを持ってくれて。

私も、人生でぶっちぎり1番痛くて

しんどかった時間をずっと側で休まず

一緒に戦ってくれたことに、

ものすごーーく感謝したし、感動。

産後にどっぷりとマタニティブルーを

味わったときも支えてもらいました。

おかげさまで産後クライシスには

無縁にここまでこられています。w

はぁー、既に色々忘れてるよな。

あんなに痛くてしんどかったはずなのに

なんて都合よくできてるんだ人類!!

まぁそうじゃなきゃー二人目なんて

考えられないけどね。

以上、出産レポでしたー。

もう四ヶ月も前のことですけど。w

でも思い出したら、改めて、

なんだかとっても愛しいもんです。

こんなにちっこかったのねー♡